2005年1月15日
女(ひと)・男(ひと)フェスタさいたま主催『百合祭』上映&トーク
 雪まじりの冷たい雨にもかかわらず、200名を越す観客が来場。トークにも大勢の観客が参加。辛口の批判も含めて活発な意見が交換された。他の会場に比べて、男性の参加が多いのが印象的だった。
会場一杯のお客様に、上映前のご挨拶。
ビデオでの上映だったが、
とても映写が綺麗で、音も良かった。
熱心に聴いてくれる観客の皆さんに、
トークにも力が入る浜野監督。
さいたまTVのインタビューを受ける浜野監督。 主催者のさいたま市市民局生活文化部
男女共生推進課の皆さんと。

2005年2月26日
NPO法人なはまちづくりネット&財団法人沖縄女性財団共催『百合祭』シネマ&トーク
 昨年10月に引き続いて、沖縄では2度目の上映。
 会場は、沖縄県女性総合センター“てぃるる”。2回の上映にたくさんの観客が観に来てくれ、浜野監督の著書『女が映画を作るとき』はアッと言う間に完売、サイン攻めで、うれしい悲鳴も。
昨年10月に引き続いて、
2度目の沖縄上映に、
トークも楽しそうな浜野監督。
主催者の一人大城さん(浜野監督の左)と、
ボランティアスタッフの皆さん。
左端が沖縄県立那覇西高等学校の
名物教師“サンシャイン・チエ”ちゃん。
このキャラクターが生徒に大人気。
居酒屋レキオスで、歌って踊って、
盛り上がるサンシャイン・チエちゃん。
レキオスもとってもステキなお店でした。
会場となった、
沖縄県女性総合センター“てぃるる”。
浜野監督?(笑)。

2005年3月11日〜20日
the 27th International Women Film Festival of Creteil(フランス)
 第27回クレティユ国際女性映画祭。パリ郊外のクレテイユ市で1979年から開催されている、世界最大でパイオニア的存在の女性映画祭。
 委員長は、第一回目からジャッキー・ビュエさん。
 世界の女性監督作品を毎年200本以上紹介すると同時に、フェミニズムやセクシュアリティをテーマにシンポジウムやディスカッションも活発に行なっている。
 『百合祭』は2000年の『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』(仏題『MIDORI』)に続いて2度目の参加で、ジャッキーさんは、浜野監督を「お帰り、サチ」と迎えてくれた。
 長編劇映画とドキュメンタリーのコンペティションの他、スキャンダル、フェミニズム、セックスとタブー、非宗教性、アフガニスタン、といったテーマの特集が組まれ、毎夜活発な議論が行なわれた。
 『百合祭』は、メイン会場である、クレティーユ市の文化センターで上映されたが、上映後ロビーに場所を移して、質疑応答が行なわれ、「高齢女性のセクシュアリティ」というテーマに深夜まで熱心なディスカッションが続けられた。
 また、今年は「アジア特集」が組まれ、オープニング作品は香港のヤン・ヤン・マー監督の『バタフライ』、長編劇映画部門のグランプリはマレーシアのヤスミン監督の『Sepet』、高校生が審査員のヤング部門では、韓国のリー監督の『…ing』が受賞した。また、アジア諸国から参加した12人の監督たちでシンポジウム「津波・フォーラム」も行なわれた。
クレティユ国際女性映画祭
・オープニングセレモニーで、
世界の女性監督たちと(中央が浜野監督)。
映画祭委員長のジャッキー・ビュエさん。
『百合祭』で2度目の参加に、
「クレティユにお帰り、サチ」と言ってくれた。
英語でご挨拶の浜野監督。
照れています・・・(笑)。
右後ろは香港のYan Yan Mak 監督。
コンペでグランプリを狙う
マレーシアのヤスミン監督と。
厳しい表情だが、実はとってもひょうきん。
会場内のレストランで、
毎日ランチしながら打ち合わせ。
ゲストの溜まり場(?)で、
香港のYau Ching監督(中央)と
シンガポールのTania監督(右端)。
アジアの女性監督のシンポジウム。
テーマは「アジアにおける女性監督の現状」。
遅れているのは日本だけ?
同じくシンポジウムで。
中央が、シンガポールのLee Wong 監督。
日本の女性映画監督の現状について話す
浜野監督。右が通訳の児玉しおりさん。
韓国のEon-hee LEE 監督。
弱冠29才の新鋭ながら、2億5千万円の
制作費をかけた『 ・・・ING 』で参加。
交流パーティで、ジャッキーさんと。 交流パーティで、『 IKU 』の
シューリー・チェン監督と再会(左端)。
浜野監督の右は、パリ在住のライターで、
海外浜野組の一人でもある、田中久美子さん。
ジャッキーさんと舞台挨拶。上映後の
ディスカッションは場所を変えて行なわれた。
上映後の質疑応答は、深夜まで続けられた。
フランスの観客は、議論好きで、
熱のこもったディスカッションとなった。
アジアの女性監督で行なわれた
「津波・フォーラム」。
インドネシアやフイリッピン、タイ等の監督が、
津波の惨状を語り、アジアとヨーロッパの
文化の違いを熱く語った。
「津波・フォーラム」の集合写真。
おどけるヤスミン監督に大爆笑。 10日間続いた映画祭もいよいよフィナーレ。
長編劇映画部門のグランプリは、
マレーシアのYasmin AHMAD 監督の
『 Rabun 』に。喜ぶヤスミン監督とご両親。
タニア監督、ヤオチン監督と一緒に。
いつも仲良し三人組。
ヨーロッパの女性監督と。 映画祭終了後、ジャッキーさんに
ビデオ・インタビューを受ける。
映画祭の打ち上げで、
香港のヤン・ヤン・マー監督(中央)と
韓国のリー監督と一緒に、
インドネシアレストランで。
ヨーロッパ・ツアーの仕掛け人、
アジア−ヨーロッパ交流基金のマリー
(Marie Le Sourd) と。
みんな、ありがとう! 楽しかったね。
また、会いましょう!
これから始まるヨーロッパ・ツアーを前に、
アジアの女性監督たちと中華でごはん。
中央がフイリッピンの Ditsi CAROLINO監督。
映画祭会場近くの湖畔で。 映画祭メイン会場の
クレティーユ市文化センター。

2005年3月15日〜4月14日
アジア・ヨーロッパ交流基金・クレテイユ国際女性映画祭共催“フォーカス・オン・アジア”
 クレテイユ国際女性映画祭とアジア・ヨーロッパ交流基金が共催し、中国、香港、韓国、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、日本のアジア10人の女性監督の作品が選ばれ、クレテイユを皮切りに、ヨーロッパ3都市(パリ、オーストリア、ドイツ)で上映ツアーを行った。
 2002年の香港国際映画祭で出会い、2004年のガールフェスト・ハワイでも一緒になった香港のYAU CHING監督や、昨年の東京国際映画祭、今年のあいち国際女性映画祭に出品された韓国の「…ing」のEon-Hee LEE監督の作品も選ばれている。

2005年3月15日
フランス・クレテイユ
 『百合祭』ヨーロッパツアーの第一弾は、クレテイユ国際女性映画祭が開催された、パリ郊外のクレテイユ市の映画館「La Lucarne」。
 住宅街にあるこじんまりとした映画館だが、100席くらいのところに老若男女が詰めかけ、ほぼ満席状態となった。上映は大いに沸き、なかでもミッキー・カーチスさん演じる「三好さん」が大受けで、三好さんが高齢女性たちにサービスする場面では拍手と大爆笑が起こり、中高年男性は大喜びだったが、「肉球がよかった、自信を持った」と涙ぐむ高齢男性も。上映後は、ロビーに場所を移してソワレ(夜会)が開かれ、「フランスでもこのテーマはタブー。女性は年を取ったらセクシュアリティなど無縁と思われている。この映画を観て勇気をもらった」という高齢女性や、「日本の映画は暴力が多いので、こういうテーマの作品は初めて観た。日本女性は大人しいイメージが強かったが、年を取っても行動する女性たちであることが分かって、とても良かった」という声も上がった。特に、浜野監督に向かって「あなたはこの映画を作ることによって、観客の頭の中に種を植え付けた」と感想が印象的で、心に残っている。
アジア10人の女性監督でヨーロッパを
上映しながら回る
“フォーカス・オン・アジア”の
トップバッターは、クレテイユ市の映画館
「Cinem La Lucarne」。
住宅街にある3スクリーンの小さな劇場だが、
『百合祭』上映には老若男女がつめかけ、
ソールドアウトに。
劇場の支配人から花束を贈られる浜野監督。
クレティーユ市の映画館での
上映を知らせるポスター

2005年4月2日
フランス・パリ
 「クレテイユ国際女性映画祭」閉幕後、ヨーロッパ・ツアーに参加したアジア10人の女性監督たちは、パリのリュクセンブルグ公園近くのホテルに移動、それぞれの上映と、マーケティング・リサーチや、ディストロビューター(配給会社)との面会、フランス映画界の視察など、忙しい日々を送った。
 『百合祭』フランス上映第二弾は、パリの映画館「La Pagode」。ユニークな作りの劇場で、映画通の間では有名な映画館だとか。朝11時からという時間帯もあって観客はあまり多くはなかったが、TVや新聞のメディア関係者や映像作家やアーティスト、大学関係者など『百合祭』のテーマに問題意識を持って観てくれた観客が多く、上映後のディスカッションは内容の濃いものになった。主催者の女性が浜野監督を抱きしめながら「観客の数ではなく、何を上映したかが」私たちは問われるのだ」と言ってくれたことがうれしかった。
パリの個性的な映画館。
東洋好きのお金持ちが作ったのだとか。
中国も日本も韓国もぜ〜んぶミックスされて、
ここでは“東洋”。
内装も個性的。
残念ながら観客は少なかったが、
TVや新聞のメディアが注目してくれた。
上映後の食事会で、主催者の皆さんと。
右端は通訳の児玉しおりさん。
左端はライターの田中久美子さん。
全ヨーロッパとアフリカに配信網を持つ、
ケーブルTVに出演。
浜野監督のドキュメンタリーを
撮りたいと申し入れてきた、
若手映像作家のジュリアン(浜野監督の右)と
TV局のプロデューサー(中央)。
右端は、海外浜野組の一人で、
パリ在住の映画ライター、林瑞絵さん。
リュクセンブルグ公園のすぐ側のプチ・ホテル。
ここで、アジアの女性監督たちと
約1ヶ月を過ごした。
ホテルで朝ごはん。やっぱり仲良し三人組。 セーヌ川で鳩と遊ぶ。
ちょっぴりホームシック?(笑)
パリの桜。シャンゼリゼ通りの公園で。
パリ郊外に建設された「新凱旋門」前の広場で。
「凱旋門」と「新凱旋門」は
直線で繋がるように設計されている。
パリ−ベルリン間を結ぶ
“イージ−ジェット”。
格安の価格で、
ヨーロッパの足となっている。

2005年4月9日
オーストリア・インスブルック
 周囲をアルプスに囲まれた、美しいインスブルックの中心にある映画館「Leo Kino」では、「フォーカス・オン・アジア」の参加作品から4本の作品が上映されたが、参加したのは浜野監督のみという寂しいツアーとなった。
 4月7日の夜行寝台列車でパリの東駅を発ち、ミュンヘン乗換えで、8日昼にインスブルック到着したが、インスブルックの受け入れ態勢が実に素晴らしかった。
 招聘してくれたのは、政府観光局に連なるフィルム・コミッション「シネ・チロル」で、宿泊は18世紀半ばから続く由緒ある五つ星ホテル。ディナーはインスブルックでも数少ない韓国&日本料理店に招待され、おいしいお寿司をごちそうになった。その時に聞いた話だが、チロルを舞台にした映画を作るため、世界各国の撮影隊を誘致する努力をしているのだとか。ぜひ、インスブルックで映画を作って欲しい、と要請されてしまった。
 海外の映画祭でいつも一番困るのが通訳なのだが、外国人の通訳者の場合、いくら日本語を上手に話すと言っても、作品の背景となる文化までは理解してもらいがたい。その点、日本人(特に女性)が一番なのだが、この上映では、インスブルック大学で現代ドイツ文学を研究している尾形陽子さんに、数ヶ月前から通訳を依頼し、三月に日本に帰った尾形さんは浜野監督の「女が映画を作る時」と、映画の原作である桃谷方子さんの「百合祭」まで読み、準備してくれていたのだと言う。当然、打てば響くような通訳で最高だった。
 『百合祭』の上映は夜9時からと遅い時間だったが、チケットはソールド・アウト、補助椅子を出す盛況ぶりで、尾形陽子さんによれば「インスブルックで(日本に関心のある)来るべき人はみんな来た」のだとか。上映中は楽しそうな笑いが場内に満ち、上映後のディスカッションでは、「日本の女性監督の現状」や、「『百合祭』が日本の男性たちに不評である理由」、また、「老年女性の性愛というテーマが国際的であること」や、「日本の男性監督たちのバイオレンスへの傾斜について」などの内容のある質疑応答が続いた。
オーストリアのインスブルックの映画館。
このアルプスに囲まれたチロルの街は、
夢のように美しかった。
満席の観客。通訳の尾形陽子さんによると、
インスブルックで日本や映画に
興味のある人は全部来た(笑)とか。
劇場の中で主催者の皆さんと。
左から二人目が、通訳を務めてくれた
インスブルック大学で現代ドイツ文学を
研究している尾形陽子さん。
浜野監督の右がヨーロッパツアーの
責任者ロジェ氏。
上映後のソワレで、
関係者の皆さんとほっと一息。
客席でのディスカッションも質問が相次ぎ、
とても有意義だった。
街並みを見下ろす高台で。
後方には冬季オリンピックに使われた
スキーのジャンプ台が見える。
インスブルックの墓地。教会の鐘が鳴り響き、
まるでおとぎの国に迷い込んだよう。
インスブルックの芸術家カップルと。 街の中央を流れる美しいイン川から街並と
アルプスを望む。インスブルックとは
「イン川にかかる橋」という意味だそう。
インスブルックの映画館「レオ・キノ」。
若い女性たちが中心になって、
「女性監督特集」などのプログラムを
組んでいる意欲的な映画館。
アルプスに囲まれた美しい街並。

2005年4月14日
ドイツ・ベルリン
 ヨーロッパ・ツアーの最終地。4月11日朝8時20分にインスブルックを出た列車は、ドイツのミュンヘンを経由して、夕方6時にベルリンに着いた。迎えてくれたのは、「Kino Arsenal」の支配人、ステファニーさんと、インスブルックでの上映がなかったため、ベルリンに先行していたシンガポールのタニア・サン監督。
 「Kino Arsenal」は、ベルリンの新都心ポツダム・プラッツ(広場)にある半ば国営の映画館で、『百合祭』は2003年の「ベルリン・レズビアン映画祭」でもこの劇場で上映されたので2度目の上映となり、ステファニーさんとも懐かしい再会となった。
 今回は、「フォーカス・オン・アジア」の全作品を毎夜連続上映、オープニングではタニア監督の2本の短編と、フィリピンのディツィー監督のドキュメンタリー『ライフ・オン・ザ・トラックス』が上映された。
 4月14日の『百合祭』上映で、通訳を務めてくれたのはフンボルト大学・日本学科専任講師の足立ラーベ加代さん。1999年にベルリンの大学で開催された「エスノ映画祭」に『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』で参加した時、ディスカッションの通訳者として紹介されたのが、足立ラーベ加代さんで、6年ぶりの再会となった。
 『百合祭』はベルリンの大学関係者が月1回行っている「日本映画を観る会」も協賛してくれ、ベルリン在住の日本人も多く観に来てくれた。上映後のディスカッションやソワレでもたくさんの意見が出され、ある日本人女性から「こういう映画が作られたのなら、日本も女性にとってもう少し住みやすい国になるかも知れませんね」と言われたのが強く印象に残った。
 翌15日、ヨーロッパの足となっている「イージージェット」でパリに戻り、クレティーユ国際女性映画祭から始まって約2ヶ月に及んだヨーロッパ・ツアーは終了した。パリ、インスブルック、ベルリンの他にも、ストックホルムなど名乗りを上げた都市はあったが、予算の関係で断念されたのだとか。
 「アジア・ヨローッパ交流基金」によると、来年は、ヨーロッパ10人の女性監督たちが、アジア諸国を上映しながら回るアジア・ツアーが予定されているという。日本で、ヨーロッパの女性監督たちの作品と交流を楽しみに待ちたい。
『百合祭』が上映された、ベルリンの新都心、
ポツダム広場の個性的な
映画館「アルゼナル」。
劇場支配人のステファニーさんと。
『百合祭』は、2003年の
「ベルリン・レズビアン映画祭」でもこの劇場で
上映されたので、2度目の上映&再会となった。
上映後のディスカッションで
通訳に大活躍してくれた、
フンボルト大学の日本学科専任講師の
足立ラーベ加代さん。
右端が、1999年に『尾崎翠を探して』
を初めて海外映画祭
(ドイツ・ドルトムント国際女性映画祭)に
招いてくれたコーディネーターであり、
ビデオ映像作家でもある、
海外浜野組の重鎮、松山文子さん。
ベルリンの新都心、
ポツダム広場に建つソニー・センター。
この周辺はものすごい勢いで再開発が進んでいる。
ベルリンの桜。季節を北上して、
パリに続いて、ベルリンでも桜に遭遇。
ベルリンの壁の前で。
歴史を風化させない努力に頭が下がる。
壁の内側は、写真や資料が展示されていて
(壁博物館)、たくさんの小中学生を
引率した先生たちが熱心に説明していた。
気球に乗って、空中散歩にお出かけ(ウソ)。 ヨーロッパツアー最後の地、
ベルリンの街角でタニア監督と。

2005年3月17日
『百合祭』〜リーブラで出会う女性の作品〜
 港区立男女平等参画センター主催の上映会。浜野監督がヨーロッパ滞在中だったため、映画だけの上映となった。

2005年3月31〜4月2日
Czech Film Festival FEBIOFEST (チェコ)
 チェコの首都プラハで開催されたL&G映画祭。フィルムだけの参加。

2005年4月30日〜5月1日
FarOutFest Sant Cruz International LGBT Film Festival(アメリカ)
 オークランドで開催。フィルムのみの参加。

2005年5月21日
FACES AND MASKS OF AGING (アメリカ)
 カリフォルニア(パロ・アルト市)のスタンフォード大学のヒューマニティー・センターが主催した学会「FACES AND MASKS OF AGING: IMPLICATIONS FROM THE LIVES OF JAPANESE ELDERL」(「加齢の素顔と仮面:日本の高齢者の生き方が示唆するところ」)で、『百合祭』の上映&質疑応答が行なわれた。
 この学会は、社会学、人類学、言語学、コミュニケーション学、心理学、統計学、医学、看護学などの色々な専門分野の研究者が集まった画期的な「学際的」学会で、企画者はヒューマニティー・センターのトップでもある松本善子教授。
 同大学は、1891年に設立された名門私立大学だが、広大な敷地の中に“スパニッシュ・ コロニアル様式”の建物が点在し、まるで、中世に迷い込んだようだった。
 21日(土)の午後に行なわれた『百合祭』の上映には、学会参加者を始め、学生や教授などスタンフォード大学の関係者や大学近辺の市民の皆さんも多く観に来てくれ、「閉経後の女性のセクシュアルな可能性をどう考えるか」、「加齢後も女性役割を期待する男の強固な異性愛体制といかに訣別するか」などの活発な質疑応答がなされた。日本生まれのベス・ケーリさんが通訳を務めてくれたが、打てば響くような素晴らしい通訳で、言葉の壁を越えた深いディスカッションが出来た。
スタンフォード大学の
ヒューマニティー・センターが主催した学会
「FACES AND MASKS OF AGING 」
(「加齢の素顔と仮面」)が開催された
ヒューマニティ・センター。
『百合祭』が上映された
スクール・オブ・エデュケーション。
1938年に建てられた建物だ。
上映会場となったホールへの入り口。
学会参加者以外に、
先生方や学生が観に来てくれた。
スタンフォード大学の構内。アメリカの
植民地時代に、ヨーロッパから入ってきた
「スパニッシュ・コロニアル様式」だとか。
構内の中央部に位置する教会。
学会参加者。左端から、
聖心女子大学教授、高橋惠子さん、
浜野監督、
慶應義塾大学看護医療学部助教授、
森田夏実さん、
聖心女子大学助教授、濱口壽子さん。
左から、ピッツバーグ大学社会学部準教授、
橋本明子さん、
ジョン・キャロル大学人類学助教授
スーザン・O・ロングさん、
右端が財団法人ライフプランニングセンター
顧問の医学博士、道場信孝さん。
学会の企画者で、
ヒューマニティー・センターの
トップでもある松本善子教授と。
ヒューマニティ・センターの前で。
左端が大学の職員でゲスト担当の
Wan-Chao Chang さん、
浜野監督の右隣が大友麻子さん。
彼女のパートナーが、スタンフォード大学の
学生で、ボランティアで日本人参加者の
お世話をしてくれた。
宿舎となったホテル、
「スタンフォード・テラス・イン」の前で。
カリフォルニアの空は抜けるように青い。
大学構内の路で。この広大な敷地の中を
先生や学生たちは、構内用のカートや
自転車、スケボーなどで移動する。

2005年6月2日〜7日
Korean Queer Culture Festival (韓国)
 韓国・ソウルで開催。この映画祭は、“Korean Queer Culture Festival 2005”という大きなイベントの一環として開催され、日本からは『百合祭』の他に『薔薇の葬列』などが参加。
 イベントのハイライトであるレズビアン&ゲイパレードは、6月5日に開催されたが、台湾からトランス・セクシャルのショー・ガールの皆さんも駆けつけ、クィア・パワーが燃え上がった。
 日本からはラブピースクラブの北原みのりさんが参加。浜野監督と奇遇を喜び合った。
 『百合祭』が上映された映画祭は「ソウル・クィア・カルチャー・フェスティバル2005」という大きなイベントの一環で、キャッチフレーズは「Queer UP!!」。
 映画祭の期間は5日間で、9本の作品が上映されたが、うち3本が日本映画で、『薔薇の葬列』(1969年)や最新の短編を集めた『ジャパニーズ・スペシャル』などが上映された。『百合祭』は2回上映されたが、観客の年齢層が非常に若く(ほとんど10代から20代前半!)果たして理解してくれたかどうか?
 通訳や映画祭のボランティア・スタッフたちも若く、ほとんど学生さんたちだったが、キビキビとして、とても気持ちのいい人たちだった。
 韓国で最大のフェミニズム雑誌「フェミニスト・ジャーナル if 」に浜野監督がインタビューを受けたが、「レズビアンであることがバレたら、親に精神病院に入れられる」(パレード参加者の女性)という儒教の国・韓国でも、「女性側から性を語る」ことや、「ゲイやレズビアンの権利を認める」運動などが、フェミニズムの大きな課題になっているのだとか。
「ソウル国際レズビアン&ゲイ映画祭」の
会場となった高層ビル。この映画祭は、
“Korean Queer Culture Festival 2005”
という大きなイベントの一環として開催された。
映画祭の主催者(中央)と、
通訳のキム・ジヒさん。
上映後のディスカッションで。
左端は、キム・ジヒさんと交代で
通訳をしてくれたリ・スンヒョンさん。
二人とも日本語を学んでいる学生さんだ。
マッコリと豚の三段バラ(焼肉の名前)で、
ご機嫌の浜野監督。
ソウルのレズビアン&ゲイパレードに
参加するために来ていた北原みのりさんと
偶然出会って、マッコリと焼肉で乾杯!
パレードで挨拶する北原みのりさん。 戦争に反対! 世界に平和を!
韓国で有名なゲイ・スター。
彼は、カミング・アウト後
芸能界からはじき出されたが、
最近仕事が戻りつつあると言う。
パレードは、「宗廟」前の宗廟市民広場から
出発、ソウルの中心街を練り歩いて、
熱く燃えるクィア・パワーをアピールした。
キョンボックン(景福宮)で、
チャッカリご一緒に(笑)。

2005年7月7日〜10日
Rainbow Mission(Hungarian Gay Lesbian Bisexual and Transgender Festival)(ハンガリー)
 ハンガリーの首都ブタペストで開催。フィルムのみの参加。

2005年8月26日
大泉町教育委員会生涯学習課主催『百合祭』シネマ&トーク
 群馬県大泉町公民館で、上映&トーク。生涯学習セミナーの一環で、セミナー会員約60名が対象の上映会だったが、皆さんに楽しんで『百合祭』を観てもらうことが出来た。
 トーク後のディスカッションでは、80歳近い女性が、“いつまでもパートナーと性を楽しむ方法”を実体験を交えてレクチャー、会場が大爆笑というハプニングも。
 地方の高齢女性には、性におおらかな方が多いのを実感。
セミナー会員60名限定のワークショップの
ような上映会だったが、皆さん大いに
「百合祭」を楽しみ、
トークの後は熱心な討論が続いた。
参加者の高齢女性からの大胆な発言に
会場中が沸いて、
とても楽しいディスカッションとなった。
上映会を企画してくれた、大泉町教育委員会
生涯学習課の小薬智代さん。
上映会場の大泉町公民館。

2005年9月3日
「レッツ・トーク・不妊!2005」映画&トーク『百合祭』
 「フィンレージの会」が主催し、東京ウィメンズプラザでビデオ上映。
 トークは「女の空間NPO」代表の大島かおりさん。

2005年9月3日
札幌市男女共同参画センター「女と男のトーク・セッション2005」
 上映と、北海道大学大学院教授の金子勇さんと浜野監督の対談。
 会場には、浜野監督や金子教授のプロフィールのパネルや『百合祭』出演者のパネルなどが展示され、実に入念に準備されたイベントだった。
 チケットは早々に売り切れ、入場出来なかった人も。観客のほとんどがトーク・セッションにも残ってくれ、浜野監督と金子教授の軽妙なトークに会場中が沸いて、とても楽しい時間だった。
 また、『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』の上映が縁で、『百合祭』の後援をしてくれた北海道立文学館や、『百合祭』製作時から自主上映時まで協力してくれた多くの人たちと再会出来たこともうれしかった。
上映前のご挨拶。 320席がソールド・アウト。上映中も
笑いの絶えないうれしい上映会となった。
札幌市男女共同参画センター・所長の
長野登喜代さん。
北海道大学大学院教授の金子勇さんと対談。
男性とは初めての対談だったが、
大いに盛り上がった。
楽しそうな金子先生。 こちらも楽しそうな浜野監督。
トーク・セッションの仕掛け人、
札幌市男女共同参画センターの
森口賀寿葉さん。
センターの皆さんの手作りのボードに感激! 
吉行和子さんになってみたりして・・・(笑)。
関係者の皆さんと記念撮影。
浜野監督の右隣が、上映の仕掛け人、
北海道フィルムアート(株)の石川まち子さん。
成功したイベントの打ち上げは楽しい。
この笑顔が宝物だ。
お茶目な金子先生が可愛い(笑)。
「百合祭」の製作準備時から協力してくれた
札幌の友人たちと、北海道の味覚に大満足。
北大キャンパスのクラーク博士像の前で。
“女性たちよ、大志を抱け!”

2005年11月5日
愛知淑徳大学公開セミナー『百合祭』上映&トーク
 愛知淑徳大学の学園祭「淑楓祭」で、『百合祭』の上映と、浜野監督のトークが行なわれた。主催は「愛知淑徳大学現代社会学会研究委員会」で、学生さんたちが組織運営する研究会。主催者である3年の玉野秀樹君は、7月から準備を重ね、名古屋の男女共同参画センターや映画館にもチラシを置くなど、熱心な活動を展開してくれた。
 星が丘キャンパスの15A教室という学内での上映だったが、学生さんを初め、先生方や学外からの一般参加者も観に来てくれ、上映後のディスカッションでは、ユニークな意見が飛び交って、にぎやかで楽しい時間となった。
愛知淑徳大学・星が丘キャンパス 「第23回淑楓祭」で、
学生さん手作りの看板が並ぶ
15A教室で、学生さんたちを前に
トーク中の浜野監督。
主催者である「現代社会学会 研究委員会」
の玉野秀樹クン。
学生さん&先生方と。
後列左から2人目が、スタンフォード大学の
学会でご一緒した太田浩司助教授。
夜の交流会で。楽しくて、おいしいお酒でした!

2005年12月1日〜5日
KIN International Women's Film Festival (アルメニア)
 アルメニアの首都エレバンで開催。フィルムのみの参加。

2005年12月10日
みさきウイッシュ講座『百合祭』上映会&対談
 大阪府岬町の岬町文化センターで、上映とゲイマガジン『にじ』編集長の永易至文さんとの対談。
 主催は岬町人権推進課だが、仕掛け人は、人権や男女共同参画などをテーマにした啓発冊子の企画・編集会社潟Iフィス・オルタナティブ代表の平岡直子さんで、「高齢者」のテーマがきた時には、是非『百合祭』と監督を取り上げたいと思ってくれていたのだとか。
 「同性愛であるかどうか、結婚しているかどうかに関わらず、人はいくつになっても性的な存在であること、誰もが、自分が年をとる過程でどう暮らすか、を考えないといけない時代になっている。“可愛いおばあちゃん”とか“老後は孫に囲まれて”といったイメージをひきずっていると幸せになれない」とキッパリ。
 上映後の永易至文さんとの対談は、平岡さんの司会で大いに盛り上がり、会場からは高齢女性からの赤裸々な告白(?)も飛び出した。群馬県の大泉町での上映会もそうだったが、地方の小さな町での上映会の方が、ストレートな発言が相次ぎ、おおらかに「性」を語る女性たちが多いようだ。
50人ほどの小さな上映会だったが、
上映後の対談では女性たちから
過激な発言や質問が相次いだ。
ゲイマガジン『にじ』編集長の
永易至文さんと対談
思わず照れる浜野監督。 永易至文さんは、04年の「東京国際
レズビアン&ゲイ映画祭」で『百合祭』を
観てくれ、HPに感想を寄せてくれた。
仕掛け人の
潟Iフィス・オルタナティブ代表、
平岡直子さん。
主催者の岬町人権推進課の皆さんと。