上映会のお誘い

この映画の上映会を企画していただけませんか?
 これまで映画祭以外では、主に各地の女性センターや自主上映グループによって上映され、浜野佐知監督のトークとともに、尾崎翠についてディスカッションしてきました。白石加代子さんや吉行和子さんなど実力派の女優さんが出演し、内容的には充分価値あるものと確信していますが、尾崎翠や浜野監督の知名度は一般的なものではありません。自主上映の組織や機会に関わりのある方で、この映画に興味を持たれた方があれば、ぜひ旦々舎までご連絡ください。

■上映素材■
●Blu−ray / DVD=108分
●字幕=英語版(Blu−ray / DVD)

■料金■
●レンタル料=10万円。
●監督トーク=ご予算に応じます。ご相談ください。

■お問い合わせ先■
旦々舎
Fax:054-272-1692
e-mail:tantan-s@f4.dion.ne.jp
http://tantansha.main.jp/

尾崎翠(おさき・みどり)をご存じですか?
 今から百年ほど前の18世紀末に鳥取に生まれ、昭和初期に「第七官界彷徨」や「こほろぎ嬢」「歩行」等のユニークな小説を発表しながら、頭痛薬の中毒によって精神に錯乱をきたし、30代半ばにして親族の手で故郷に戻されたまま、二度と作品を発表することのなかった作家です。
 林芙美子など親しかった友人も「尾崎翠は、気が狂って死んだ」と思っていたそうですが、今回の私たちの映画は、女性監督・浜野佐知が、この「幻の作家」の謎に包まれた人生と、代表作『第七官界彷徨』の世界を映画化したものです。尾崎翠の作品は、目下ジェンダーやセクシュアリティ、少女論、モダニズム研究など、新たな文脈で読み直されつつありますが、私たちは現在、この映画の上映運動を行なっています。ご検討のうえ、上映に関するお問い合わせや、資料等のご請求など頂ければ幸いです。

この映画の上映の歩み
 映画「第七官界彷徨・尾崎翠を探して」は、98年11月の東京国際映画祭・国際女性映画週間に出品されました。その後、ドイツのドルトムント女性映画祭や、にいがた国際映画祭、江ノ島女性映画祭、あいち国際女性映画祭など、国内外の主に女性映画祭を経て99年の7月に東京・神田の岩波ホールでロードショー公開されました。その後、ベルリンのエスノ映画祭、エジプトのアレキサンドリア映画祭、ニューヨークのジャパン・ソサエティ、パリ郊外のクレティーユ女性映画祭など、海外でも上映されています。
 99年1月には、国立婦人教育会館のワークショップで、上映および浜野監督と松本侑壬子さんのトークがあり、それ以降、各地の女性センターや、女性が主体の自主上映組織から、上映および監督のトークに関する問い合わせを数多く頂きました。同年6月には栃木県宇都宮市の「とちぎ女性センター・パルティ」、8月には東京都立川市の女性総合センター「アイム」、8月末に「福岡県女性総合センター・あすばる」(作家・村田喜代子さんと浜野監督の対談)、9月には静岡県浜松市で開催された「日本女性会議99」、11月には大阪府の豊中婦人会館などで、いずれも上映と監督のトークが行なわれました。
 また、10月に愛知淑徳大学の小倉千加子教授が指導する「現代社会とジェンダー」の枠で、2回にわたり上映と監督トークが行なわれ、数多くの学生の感想レポートを頂いたのも、意義あるものでした。2000年も、1月には大阪府堺市の「第4回さかい男女共同参画週間ー女と男がいきるのやSAKAIー」、2月には愛媛県松山市で新らしくオープンした男女共同参画推進センター「コムズ」の開館記念フェスティバルなどでの上映および監督トークが続きました。
 映画館では、東北地方のネットワーク「フォーラム」が熱心に取り組んでくれ、99年9月に山形、10月に盛岡、福島でプレイベントと上映が行なわれました。熱意ある映画ファンと交流し、尾崎翠について語り合えたのは意義あるものでしたが、山形では女性限定で浜野監督のピンク映画2本を観るワンナイト・イベントという画期的、かつ愉快な試みも行なわれました。(地方都市の夜の催しでしたが、なんと満員!)
 しかし、これまで私たちが上映運動を進める中で痛感したことは、単に街の映画館にかけるだけでは、この一般的にあまり知られていない女性作家に対する関心を呼び起こすには、不十分であるということでした。東京や愛知の映画祭、岩波ホールでのロードショーには、熱心な尾崎翠の愛読者などが詰め掛けてくれましたが、ハリウッド映画と競合する街の映画館の興行や、読者の分散する地方都市においては、残念ながら無名の監督の、何だか分からない映画といった印象が強いようです。
 やはり、明確な問題意識を持った上映主体によって、この「幻の作家」に対する興味と共感を積極的にアピールして頂くことで、多くの人に関心を抱いてもらうことが出来るようです。それでは、この映画には、どのような関心の持ち方があるでしょうか。

尾崎翠という女性作家に対する関心
 従来「悲劇の天才的マイナー作家」として、一部の男性評論家や研究者に祭り上げられてきましたが、90年代になって主に女性の作家や研究者によって、読み直しが行なわれています。長い間、創樹社の一巻本全集と、筑摩書房の文庫があるだけでしたが、私たちの映画の完成と同時期に筑摩書房から2巻の『定本尾崎翠全集』が刊行されました。また、文芸春秋からは文春新書で、群ようこさんによる評伝『尾崎翠』が出るなど、ちょっとしたブームになっています。最近では、雑誌『鳩よ!』(マガジンハウス)のリニューアル創刊号(99年11月号)で特集「モダン少女の宇宙と幻想」を組んでいます。

出演した女優さんに対する関心
 日本を代表する舞台女優、白石加代子さんが、尾崎翠を演じていることが何といっても最大の話題ですが、親友役の吉行和子さんに対する関心も大きなものです。吉行さんの父吉行エイスケは、尾崎翠と同じ雑誌にエッセイなどを発表している芸術家ですが、この映画の試写会には和子さんのお母さまである「あぐり」さんも見えました。また「第七官界彷徨」のヒロイン役、柳愛里(ゆう・えり)さんは、芥川賞作家、柳美里の妹で、才能を高く買われている新進女優です。
 かつてピンク映画のスターとして君臨した白川和子さんと宮下順子さんが、当時助監督だった浜野監督との古い約束を忘れず、友情出演しているのも、話題のひとつです。

監督の浜野佐知に対する関心
 ピンク映画という日陰のジャンルで、3百本を越えるギネスブック級の作品数を監督し、初めて一般映画に取り組んだのがこの映画でした。なぜ、女性でありながらピンク映画の世界に飛び込んだのか、また、このピンク映画監督を支援するカンパ運動が、どうして女性の手によって展開されたかなど、現代のセクシュアリティやジェンダーの問題を考える上で興味深いものがあります。
 また、各地の女性センターの上映会で「浜野監督のピンク映画を観たい」という声が上がったり、実際に山形市の映画館(山形フォーラム)では、女性だけが入場できる浜野ピンク作品のワンナイト上映会が行なわれ、大入り満員でした。セクシュアルなテーマについて、女性自身が主体的に語りだす気運が、静かに盛り上がっているようです。

この映画の成立について
 映画「第七官界彷徨 尾崎翠を探して」は、幻の作家・尾崎翠の謎に満ちた後半生と、代表作『第七官界彷徨』の映画化、そしてそれを見る現代の人々、の三部によって構成されています。この三つの世界を、モザイク的に交錯させ、映画化するという難問に取り組んだのが、監督歴30年になろうとする浜野佐知監督と、そのスタッフ、それに女性を中心にしたブレーンでした。
 資金的にも厳しい自主映画ですが、真っ先に支援の声をあげてくれたのが、高野悦子さんや羽田澄子さんなど女性映画人の先達、そして尾崎翠の故郷である鳥取県出身の女性たちや、現在鳥取に住んでさまざまな活動に取り組んでいる女性たちです。
 1998年に入って、映画「第七官界彷徨 尾崎翠を探して」を支援する会・東京と、同・鳥取が動き出し、積極的なカンパ運動を展開します。東京の場合は、鳥取人脈を越えて、女性監督による女性映画を支援する女性たちの運動として広がりを見せました。
 また、実人生パートのロケが行われることになった尾崎翠の生地、鳥取県岩美町では、町役場が中心となって、全町民的なバックアップ体制が組まれました。
 当初は地元の鳥取でも知らない人の多かった尾崎翠ですが、映画の支援活動を通じて急速に浸透していきます。また、長い間、尾崎翠の作品を大事に読んできた全国の愛読者からの問い合わせも、相次ぎました。
 普通では考えられない女性たちの支援パワーの盛り上がりに加えて、文化庁関連の日本芸術文化振興基金と、東京女性財団の助成が決定。<尾崎翠>という作家の持つ不思議な潜在力が発揮されたように思います。
 5月に鳥取県でクランク・インし、白石加代子さんを中心にした実人生パートを撮影しました。6月には、東京の府中スタジオに作ったセットで「第七官界彷徨」パート、そして8月に同じ府中スタジオで、現代のパーティー・シーンの撮影を行い、ようやくクランク・アップしました。
 この映画が一般に初めてお目見得したのは、98年11月の東京国際映画祭・国際女性映画週間でした。この日、会場には入りきれない人数のお客さんが詰め掛け、入場制限するという異例の事態となり、急きょ紀伊国屋ホールでの特別上映会が組まれました。

ストーリー
 ゲイやレズビアンが多く集うクィア・パーティーに参加していたアドとサフラは、壁のTVモニターに不思議な映像が映るのに気づきます。それはアドが持っていた本の著者、尾崎翠が晩年、病院に入院し、死を間近にしたシーンでした。 どうもそのモニターは、時間と空間を越えて現代に発信されているらしい。尾崎翠が74歳で死去した1971年から、短い作家活動をした30代の昭和初期へと時間を遡っていく一方で、代表作「第七官界彷徨」のドラマが、モザイクのように組み合わされ、映し出されます。まるで、このモニター自体が「第七官界」への入り口であるかのように。
 尾崎翠は、当時の主流派である自然主義の作家たちと違って、自分の私生活についてはまったく書き残していません。こまごました日常生活や恋愛事件なんて書くに値しない、現実や日常を越えた新しい感覚の世界を書くのが文学だ、と考えていました。それで、尾崎翠の死後、彼女の人生をめぐって、さまざまの憶測や伝説が生まれ、なかでも鳥取での後半生は、空しく老いつづけ、無惨な「生ける屍」(稲垣真美)だったといわれてきましたが、はたしてそうでしょうか?
 30代半ばにして精神を病み、郷里に戻された尾崎翠の数奇な人生をたどりながら「第七官界彷徨」の主人公、小野町子が探求する、第六感を越えた不思議な感覚世界に、アドとサフラは共感します。いつのまにかドラァグ・クィーンをはじめとするパーティー参加者も、モニターに惹きつけられていました。
 翠の後半生と町子の物語が終わったとき、期せずして「翠コール、町子コール」が起きます。そしてそれに応えるかのように、モニターには、鳥取砂丘を登る、かつてのモダンガールたちが現れます。