上映会のお誘い

孤独と夢想を生きる女と男
〜「カップル」にならない恋の諸相をめぐって〜
 尾崎翠は、19世紀末の1896年に生まれ、1971年に亡くなった女性作家です。長生きしたように見えますが、作家として過ごしたのはちょうど人生の半分の30代半ばまでで、後半生は生地の鳥取で、親族の面倒など見ながら、戦中戦後の混乱を生きました。東京の文壇とは、一切やり取りしなかったため、「尾崎翠は気が狂って死んだ」という伝説さえ流布したことがあります。
 代表作の中編小説「第七官界彷徨」をはじめ、それに続く傑作短編、今回映画化した「歩行」「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」などは、1930年前後に書かれました。今から80年近く前のことですが、尾崎翠の作品は古びるどころか、いっそう新鮮さを増しているように感じられます。

 本作の監督、浜野佐知は、1998年に「第七官界彷徨」と、それまで謎とされてきた尾崎翠の後半生を映画化し、『第七官界彷徨−尾崎翠を探して』として発表しました。メインストリームから追われた女性芸術家の発掘と再評価という観点から、国内外の女性映画祭や大学などで上映され、その後、地元鳥取で「尾崎翠フォーラム」が毎年開催されるなど、尾崎翠への関心は高まっています。
 今回の映画『こほろぎ嬢』は、「歩行」「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」を連作として捉え、一本の映画にしたものですが、翠の到達した文学世界のエッセンスを映像化しています。

 「こほろぎ嬢」という不思議なネーミングは、作中で主人公が「私は、ねんじゅう、何の役にも立たない、こほろぎなんかのことばかし気にかかります」と心の中で呟くところから来ています。たしかにこの女主人公は、何の役にも立たない=まったく実用に向かない、非社交的なタイプで、間借りしている二階の部屋にこもっているか、図書館や映画館で、書物や映画の世界の中の人物たちと無言の対話を交わしているか、毎日そんな生活を送っています。
 彼女ばかりではありません。尾崎翠の描く他の登場人物たちも、みんな現代の引きこもりを先行するかのように、他人とうまくコミュニケーションがとれず、独り言を呟いたり、心の中でモノローグを繰り返しています。
 現代においては、実用的でない・コミュニケーションが下手・他人に向かって強く自己主張できない・孤独で夢想的である・さらに付け加えて貧乏、などといった諸条件は、マイナスの符牒を投げつけられるものでしかありません。 しかし、尾崎翠の登場人物たちは、まさに現代の価値観のまったく対極を、飄々と生きています。
 彼らは孤独であることを嘆くわけでもなく、自分の世界に深く沈潜して、自分だけの「片恋」に思いをめぐらしたり、けっこう愉快に暮らしています。尾崎翠に特徴的な、この「片恋」とは何でしょうか?

 「片恋」は「失恋」とは異なり、実現しないことを前提とした恋の形です。尾崎翠は、男女が「対」=「カップル」となるのが完成形であるとする、近代的な恋愛観とは遥かに離れた、いくつもの恋の形を描きました。代表作「第七官界彷徨」では、植物の「蘚(こけ)の恋愛」を、人間の恋愛と同じように価値あるものとして描き、蘚は見事に恋愛を成就するのに対し、人間たちは片恋や失恋ばかりを繰り返します。
 宇宙的な視点から見れば、人間も植物も動物も鉱物も、同じように価値あるもの、という巨視的な観点が、尾崎翠にはありました。目の前の人間の営為にだけキュウキュウとしている現代人からすれば、一見かけ離れた世界に見えますが、その一方で尾崎翠の描く孤独や夢想の世界に心惹かれ、慰められたり励まされたりする読者が確実に存在します。

 尾崎翠は、作家であると同時に詩人、最も早い時期の映画批評家でもありました。昨年11月の東京国際女性映画祭では、映画『こほろぎ嬢』が、いちばん多くの観客を集めました。確実に尾崎翠の読者層は広がり、深く浸透しつつあります。
 孤独であることや夢想的に生きることは、けっしてマイナスだけではありません。現代人にこそ大切な、孤独のチカラ、夢想のチカラが、尾崎翠には確かにあると思われます。

 より多くの皆さんに、映画『こほろぎ嬢』と、尾崎翠の世界に触れていただくことを願っています。


上映会のお誘い
■上映素材■
●Blu−ray / DVD=95分
●字幕=英語版(Blu−ray / DVD)

■料金■
●レンタル料=10万円。
●監督トーク=ご予算に応じます。ご相談ください。
●ポスター・1枚 100円、チラシ・1枚 5円、パンフレット・1冊 300円(税別、送料別)
 で販売しています。

■お問い合わせ先■
旦々舎
Fax:054-272-1692
e-mail:tantan-s@f4.dion.ne.jp
http://tantansha.main.jp/