女のしんぶん 2018年1月31日号

「性を女の手に取り戻す」 映画監督 浜野佐知さん
 これまで400本を超えるピンク映画を撮ってきた浜野佐知監督が映画監督を目指したのは、ある出会いがきっかけだった。

 10歳の時父が亡くなり、楽しみだった映画を観ることもなくなっていた。家族で出かけた町中の映画館通りを行ったり来たりしては看板を眺めていたある日、「映画観たいのかい?」と声をかけてくれたのは映写技師だった。

 「私を映写室に入れ、映画を観せてくれました。フィルムの扱い方、例えば暑い日や寒い日、雨の日にはこうするんだと、フィルムがまるで生きているかのように守り、良い状態にして映写機にかけると話すのです。それを聞いて、映画に関わる仕事に就きたいと思いました」。

 映写室から多くの映画を観る中で、日本映画で女は『添え物』でしかないと気づく浜野さん。「仏ヌーベルヴァーグの映画を観て、仕事を持っている女がヨーロッパの映画に出ていると驚いた。日本には女性の映画監督がいないからだ」と気づき、映画監督になろうと決めた。

 当時、大手映画会社では求人自体が大卒男子限定。監督には東大卒や京大卒のエリートしかなれなかった。上京して映画の道を探すが、女を雇ってくれるところは皆無で、唯一潜り込めたのがピンク映画の業界だった。

 3カ月間下働きをしてようやく助監督になることができたが、現場はセクハラ、パワハラの嵐。寝込みを襲われないよう包丁を抱いて寝たこともある。

 ある朝、撮影現場に行くと、監督がいない。膨大な撮影費用を無駄にはできないと浜野さんに監督代行の白羽の矢がたった時「もし成功したら自分の脚本で好きなものをやらせて欲しい」と条件をつけた。浜野佐知監督の誕生だ。

 念願通り監督になると、今度は男性スタッフとの闘いが待っていた。「若い小娘の言うことなんか聞けるか」と、思う通りに進まない。女優からも嫌がらせを受けた。

 30歳の時映画製作会社「旦々舎」を設立し、それまで築いてきたネットワークでスタッフを雇い、プロデューサーを兼ねてからはスムーズに行くようになったという。

 浜野監督の作品は、DV夫を捨てて自由に性を楽しむ女性や、突然女性の体になってしまった若い男性がストーカーに狙われたり、男の好きなように「調教」されそうになったり、女性というだけで味わう危険や理不尽を描くなど、女性目線で痛快な内容だ。

 50歳を超えてから一般映画にも進出し、高齢者の性をテーマにした『百合祭』は、38カ国56都市で上映。イタリア・トリノの女性映画祭で準グランプリを受賞するなど海外での評価は高いが、日本では4年間も上映できなかった。配給会社の「ババアのセックスなんて誰が観るんだ」という意向のためだった。映画を仕事にしようと決めた時から闘い続けてきた浜野監督。

 「女の性」を「女」の手に取り戻す闘いは、これからも続く。(野村 保子)