製作・配給:株式会社旦々舎

ある朝起きたら、男だった主人公が突然女になっていた! カフカの「変身」のような設定だが、男として鬱屈して生きてきた社会を、図らずも女として生きることを余儀なくされたら、まるで世界が違って見えてきた、だけでなく、さまざまなトラブルに見舞われる、という男女間のジェンダー・ギャップをテーマにしている。

宗教人類学者、植島啓司氏の処女作『男が女になる病気』(80年)からモティーフを得た。

ピンク映画監督として350本を越える作品を発表してきた浜野佐知は、一方で98年の『第七官界彷徨—尾崎翠を探して』以来、海外で大きな評価を得た『百合祭』『百合子、ダスヴィダーニヤ』など、日本の女性作家の文学作品を、自主制作で映画化してきた。

今回は初のデジタル撮影を機に、オリジナルの企画で、現代のジェンダー&セックスをテーマに自主制作した。


暗い引きこもりのオタクだった裕美が、ある朝起きたら、チンコがない! そして、まるで別人の魅力的な女に変身していた。戸惑い、自分が誰だか分からなくなった裕美は、別居している母親に泣きつくが、息子は女ではないと拒絶される。

コンビニに行けば痴漢やストーカーに出会い、ネットで相談すると冷やかし半分の男たちの馬鹿げた答えが返ってくる。しかし、真面目に応えてくれる書き込みもあって、女になった裕美は恐る恐る彼らに会いに行く。

書き込みの一人は超心理学者の猿渡で、古来「男が女になる病気」は稀にあり、それは選ばれた人だけの特権で、多くの人びとの尊敬の対象となった、神聖な女性化プログラムを自分に任せてほしいと言う。

もう一人の鶴橋は、ジェンダーの女性研究者で、今の社会で無防備に女になってしまうと、大きな危険に出会う可能性がある、男として生きてきた社会と、女として生きる社会はまったく別のものなのだ、と注意を促す。

自分の部屋に引きこもっていた裕美は、これまで恋人もガールフレンドもいなかった。生身の女をまったく知らない。男であったときは世界に存在しないかのように無視されてきたのに、女になった途端、がぜん注目を浴び、危ない人間も近づいてくる。男が女になった「特権」と「危険」の間で揺れ動く裕美。
その後、アイデンティティを研究しているカウンセラーも書き込みし、彼のセラピールームには前世が男で、女に転生した女性がいると言う。そのセラピールームにはクラゲの水槽があり、謎めいた雰囲気に満ちていた。

裕美は彼らの間を彷徨し、ジェンダーとセックスの狭間で、今後どう生きて行くべきか、手探りで模索する。